生産現場の技術革新(イノベーション)や人事・機構などの社内制度改革に続いて、組織の活性化をめざす小集団活動を取り上げてみ
よう。2000年代にはVPM活動、GGB活動、QCD活動とさまざまな名称でよばれているが、内容はいずれも生産性向上やコスト削減のための具体的な工夫を、職場のライン単位で考え、実践して成果を上げるというものである。まず、わが社の小集団活動の歴史を振り返ってみる。
1973(昭和48)年の社長交代で中西一雄社長が打ち出した社内体制の近代化。1976(昭和51)年に組織・機構改革が行われたが、この組織にいかに魂を入れるかが、次なる課題だった。その第1弾が1977(昭和52)年に天満工場で始まり全工場に広がった「PAC運動」(Performance Analysis Control)。生産性向上運動の1つで、初年度30%アップの成果を達成した後も、年々着実な成績を収め、全従業員に大きな自信を与えた。
第2弾は1980(昭和55)年に導入した全社的な「マルN運動」である。QCサークルの中西金属版で、わが社の従業員が全員で小集団をつくり、自主的に目標達成に向かって経営参加していこうというものである。生産性の向上はもとより、仕事にやりがい、喜びを見出し、人間的な成長を図ろう、という深遠な目的もある。短期間のうちに従業員のモラール向上と生産性アップに輝かしい成果を上げている。
こうしたQCサークル活動は、日本では1960年代に基幹産業で始まり、石油ショックを機に各産業に波及した。とりわけベアリング業界では、納入先の自動車、家電メーカーなどから厳しい品質向上とコストダウンを求められていた。要求に応えるためには、スローガンや理念だけでは意味をなさず、現場から自発的に盛り上がる小集団活動が欠かせない条件となった。マルN運動もそうした背景のなかで生まれたものである。
当時、総務部長としてこの運動を推進した山脇正治・元取締役は「従業員の経営参加意識と労使一体感が高まった」と強調する。山脇によると、当時のマルN 運動の発表会は年1回で、毎年秋に寝屋川市民会館を借り切って開いていた。三重、滋賀、天満、寝屋川など全国6工場から約800人の従業員が参集した。発表会は土曜日の午前10時から午後4時まで続き、会場は発表者の熱気でむんむんしていた、という。
大勢の従業員が一堂に集まり、交流を深めるのも発表会のねらいの1つだったが、バブル崩壊後の厳しい経営環境の下では、時間的にも費用面でも難しくなってきた。その後はそれぞれの事業所で成果発表会が開かれるようになり、優秀賞や最優秀賞が選ばれた。名称もマルN運動から「VPM運動」(ValueProducing Management)に変わって内容も一新され、上期と下期の年2回行われるようになった。
2005(平成17)年5月号の社内報から、小集団活動の成果発表会の様子を紹介しよう。例えば、名張工場の樹脂QAチーム「がんばり
レディース」が、品質部門とコスト・効率部門の2 つで最優秀賞に輝いている。メンバーの10人の写真付きで、「地元のパートさんたちのチームですが、意欲満々。働く女性の底力を見せつけました」とコメント。同様に三重工場、輸送機事業部、中西化工などの受賞チームを取り上げている。
がんばりレディース
2006(平成18)年5月号でも、工場別の最優秀チームを紹介している。名張工場では「反転不良数削減による生産数のアップ」のリダクションチームと「箔バリの削減」の成形①チーム。中西化工は「生産効率10%アップ」のオーニングチーム、三重中西は「リベット職場の生産性5%アップ」、大阪中西は「300tTRのパスライン統一化」「200tTR、250tTRの作業見直しによる効率アップ」のクラッチ・ケースチームといった具合だ。
1987(昭和62)年に住友金属工業からわが社に途中入社、2000 年代に小集団活動を担当した橋本晃一・元取締役は「それまでのマルN運動は残念ながら一過性で、実績が継続しにくい側面があった。外部コンサルタントを活用して改善に取り組んだのがVPM活動で、少量多品種の大阪工場と量産対応の名張工場へ順次展開した。こうした活動を通じて、職場の従業員の意識改革が進み、改善が定着できるようになった」と述懐している。
小集団活動の海外展開(NPC)