NKCグループのなかで唯一、完成品を製造・販売しているのがコレック。電動フォークリフト、パレット搬送機、リフター(持ち上げ機)、無人搬送台車などが主な製品で、会社設立は1972(昭和47)年と古い。興西製作所から分離独立、社名のKOLECは、‘Kosei’ Electronic Carにちなむ。会社創設からその後の歩みは波乱に富み、わが社では異色の存在である。輸送機の拠点、滋賀工場の一角に工場がある。
コレックを立ち上げたのは2代目社長の中西義雄で、工場内で動き回る作業用のフォークリフトを、エンジンではなくバッテリーで動く電動車に変えられないか、というアイデアを温めていた。新会社設立から8カ月後には、義雄社長はその座を長男の一雄専務に譲り、会長に退いている。当時、常務だった木村一夫は「職人肌の義雄さんは、心底ものづくりが好きだった。じっとしていられなかったのではないか」と、創設の経緯を話している。
モノはできても販売網はゼロ。元取締役の岩田元夫によれば、義雄会長は自らフォークリフト専業のニチユ(日本輸送機)に商談に乗り込んだ。示した条件は、車体にコレックブランドを貼る、支払いは現金というもので、先方の購買部長はカンカンだったという。その後曲折を経てニチユへのOEM供給が決まった。1975(昭和50)年前後のエピソードである。
初期のコレック製電動自走式ローリフト
電気を動力源とするコレックのフォークリフトは、排ガスの心配のない“クリーン&エコロジー”な製品として時代のニーズにマッチし、性能面でも小回りがきき、操縦しやすいと、物流現場などから評判をとるようになった。売上高は1986(昭和61)年11億8000万円、1990(平成2)年には21億7800万円と4年間で倍増。もっとも、バブル崩壊とともに需要がしぼみ、しばらく低迷期が続いた。
そのころすでに、日産自動車の産業機械事業部と住友エール(現・住友ナコマテリアル ハンドリング)とは取引を始めていたが、2002(平成14)年には業界2位のコマツフォークリフトと提携。さらに、トップメーカーのトヨタL&F(ロジスティクス&フォークリフト)とも手を組んだ。L&F はトヨタの“ご本家”である豊田自動織機の企業内会社。いずれにしろ、フォークリフト大手4社と提携することで、OEM先として安定した供給量の確保が可能になった。
最新のカウンター式フォークリフト、FXシリーズ
ところが、何度も触れているように、2008(平成20)年秋のリーマン・ショックで、状況が一変してしまう。提携先の大手は自社製品を売るのに必死で、OEM会社の面倒まではみられない、という姿勢に変わった。相前後して、中西輸送機の社長で取締役の岡崎茂雄がコレックの社長を兼務し、重点活動方針を打ち出した。「OEM先に頼らず、コレック単独でモノを売っていこう」を合言葉に、国内外での販売戦略の練り直しが始まる。
まず、販路開拓のために国内のメンテナンス網の拡大である。現在、大都市中心に5所ある拠点を、2013(平成25)年までに31拠点に増やす計画だ。これまでOEM 先に依存していたメンテナンスを、自前でやっていこうというもので、主要都市で外注先を確保する。自社ブランドの製品開発も重要な柱で、2009(平成21)年3月には「防爆仕様車NMT600P-T1」を新製品として売り出し、3年間に100台生産の予定。このほか、斎場で使用される棺台車もコレック製品で、全国の自治体から根強い需要がある。
MAGLEC のデビュー製品
コレック単独展開のもう1つは海外で、コンベアの拠点を活用してアジア、とりわけ成長著しいインドをターゲットにした。2010(平成22)年10月、インドのオートマグ社と合弁で「MAGLEC」を設立。所在地はムンバイの西にあるプネ市で、ここにはタタの自動車工場があり、日系企業も多い。
オートマグ社は中西輸送機が製作外注している組み立て・設備会社で、立体駐車場なども手がけている。MAGLECは2011(平成23)年にレンタル工場に生産設備も調達して操業にこぎつけた。小型フォークリフトの新しい機種を開発、設計はコレックが担当、生産・販売はオートマグ社が担当する。インド国内のほか、タイ、インドネシア、ベトナムなどアセアン諸国に製品を輸出、2014年には14億円の売り上げを見込んでいる。
1982(昭和57)年入社でコレックの統括部長を務める資逸康裕は「インドを拠点に東の東南アジア、西の中近東へウイングを伸ばしていきたい」と語る。立ったまま運転し、狭いところに自在に入れるリーチフォークリフトは日本の風土が生み出した独特の製品。「だからアジアなのです」と資逸は強調している。